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2013年1月28日月曜日

◆寺内史跡案内人養成講習会

寺内史跡調査の二年間の集大成として案内人養成講座開催です!

1,寺内史跡案内人養成講習会
第一期の「寺内史跡探訪マップ」
第二期の「水の湧く丘 高清水」
秋田城発掘調査と合わせて集大成です。

2,第一期 史跡探訪マップ作成
平成23年度作成の「寺内史跡探訪マップ」です

・更にグーグルマップで「寺内史跡探訪マップ」

こちらからどうぞ!

https://maps.google.co.jp/maps/ms?msid=218230982544753368249.0004810b761a387e991c9&msa=0


グーグルアースでもご覧になれます。
スマートフォンで現地探訪をどうぞ!

3,第二期 高清水の地理調査

今年度事業としてまもなく完成です。

4,史跡と地理調査の融合

なぜ高い場所ながら湧水があるのか
なぜ秋田城の井戸水があるのか・・・城が出来たか?
いろいろなことが分かります



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2010年11月13日土曜日

■会長会主催:歴史勉強会

寺内地区会長会主催の歴史の勉強会がありました。

1、寺内・八橋地区の史跡探索マップ


講師は片岡一彦さん。観光案内人でもあります。

秋田市の寺内地区と八橋地区とは史跡探索では一体なのですね。
今回の八橋地区は、図の右側半分































2、印象に残ったお話

①八橋の日吉神社(ひえい神社と呼ぶ)、秋田安東の頃からのもので、天台宗系である。もとは笹岡にあり、飯島に移動し、最後に八橋地区に来た。中央政府が地元を従わせるためにつくられたもの。
4月のお祭りには、今も元あった所の「飯島衆」が担いでいる(曳いている)。

②寿量院(元の気象台のあと)も徳川家への情報提供のためつくられて、日光東照宮(天台宗)から常時50~60人のスパイがいた。

③江戸時代は、八橋にはなぜ蕎麦屋が多かったか? 処刑場にいく罪人にそばを食べさせた(?)
それは・・さておき。文人墨客の散策コースであったがためである・・・こちらがいいですね。



3、八橋 日吉神社とは

wikiでは八橋が載っていませんが



日吉神社

日吉神社は各地に存在する神社。「日吉」には「ひよし」「ひえ」の両訓がある。
北海道・東北地方


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日吉八幡神社概要:
 日吉八幡神社は旧久保田城下の総鎮守であり、神社建築では秋田県内で随一です。
本殿(1797年)・拝殿安永七年(1778年)・舞殿・随神門・三重塔(1707年)・青銅鳥居は秋田県指定有形文化財です。朱塗りの木造三重の塔は、宝永4年(1707年)に豪商青木平兵衛が父の菩提供養のために建立したもので、秋田県内でここしかありません。
朱色の三重塔自体も他県と併せても珍しいかもしれません。随神門(神社山門)は元々は寿量院(敷地の南側に隣接し徳川家を祭っていた)にありましたが、明治3年に廃寺になったおり現在の場所に移築しました。


正面の鳥居から入ってくると少しわかりづらいかもしれません。正面からは神式、随神門からは仏式の伽藍配置になっていますので興味がある人には面白いかも知れません。又、随神門方向の道路から入ろうとしても、入り口が狭いのでやはりわかりづらいと思います。
日吉八幡神社の建物形式としてはは「権現造り」(日光東照宮栃木県日光市)で見られる形式)で拝殿などのの彫刻がみごとなことから秋田の日光廟と呼んでいる人もいます。出来れば参拝だけでなく建物を1周して建築の彫刻を見てみるのもよいかもしれません。又、正面の道路から拝殿までの距離はあまり長くはありませんが、2つの鳥居と3つの橋が掛けられており、奥性を感じることが出来ます。2つの橋には三猿」がほどこしてあり、ある種の結界を張っているようでした。本殿の屋根(写真だとわかりづらい)にも猿が鎮座しており、「日吉神社」系の守り神となっているのがよくわかります。 








4、何が興味なのか

八橋日吉神社について



①お祭りの主催者が、今も地元でなく元の飯島衆が担いでいること。
 これは寺内の古四王神社の祭典で、所在地の寺内地区の人々が主催しないで、少し離れた高野衆が主催していることのなぞ解きにつながるものです。


②ここにも、天台宗がでてきます。天台宗は田村麻呂から後の時代(100年くらい)に、武力のみでは蝦夷(えみし:我々の先祖)制圧ができないので、宗教の力も借りたことによります。その宗教とは天台宗だったのです。大きな寺院のほとんどが最初は天台宗で、のちに各宗派に分かれています。


だんだんだんだん 昔のベールが剥がれてくるようです。楽しいですね!




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跡の懇親会で
来年の方向が決まりました。


・春には、寺内地域史跡めぐり・・フイールドワーク(現地を歩く)


・秋には、一カ所深く探究する(来年は西来院)


・いいですね、ヨコ軸で全体を見渡して、タテ軸で深く探究する。・・・理想的な形になりました。


・さらにすごいことは、寺内本来の視点で見ること。
 中央政府の征服者の目で見るのでなく、我々の先祖であるエミシの視点で探究することが話し合われました。
 うれしいですね! わが秋田縄文文化研究会の主旨ともぴったりです!!!


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2010年3月26日金曜日

■寺内の歴史(1)空素沼


1、空素沼
 
 





  ①この周辺一帯は、昔、狼の群れ集まった所から大犬沢(オオイヌは狼のこと)、狼沢といい、この沢に入って帰った者がなかったことから「帰らずの沢」とも言った。また大神=神域ということで「オオカミ沢」と呼んだという。
  ②「からす沼」の地名は、帰らずが池が「からすが池」と唱え、更に「からす沼」と訛ったといわれ、沼の形が大きなカラスが空を翔けるように羽を広げた姿に見えることから、いつからか「カラスヌマ」の名前が定着したといわれる。
  ③東北方より砂丘のため堰きとめられて水を湛えたもので、「砂丘堰寒湖」と称する。周囲860m、
   最も深い所で5.3m、水は湧出する清水が大部分なので水量に変化は乏しく、美しい水面。
  ④この沼には三つの頭を持つ龍神がすむといわれ、佐竹義和(よしまさ)の時代に秋田地方に干ばつがあった。藩主は、当時名僧と誉れ高かった天徳寺の義産、赤田の是山、補陀寺の徳善の三和尚に命じて、この沼の主に雨乞いの願をさせた。三日目に霊験あらわれ大雨が降り、その年豊作。