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2014年2月25日火曜日

❏菅江真澄と探る高清水の丘(動画紙芝居)編

菅江真澄の著「水の面影」他から寺内の伝説ものがたり
2014/3/2 秋田市北部市民サービスセンターで放映します

1,菅江真澄の三つのものがたり

放映する動画紙芝居ものがたりは
「伽羅橋ものがたり」「藤茶屋ものがたり」
「高清水霊泉の謎を解く」

2,菅江真澄の「伽羅橋ものがたり」

https://www.youtube.com/watch?v=v0w2hjhnifs&feature=c4-overview&list=UUREMhWUvS8K5Vbn9DVOi1QQ



3,菅江真澄の「藤茶屋ものがたり」

https://www.youtube.com/watch?v=UsFLjkBr7ys&feature=c4-overview&list=UUREMhWUvS8K5Vbn9DVOi1QQ



4,高清水霊泉の謎を解く

https://www.youtube.com/watch?v=ePAlffFbzrg&feature=c4-overview&list=UUREMhWUvS8K5Vbn9DVOi1QQ

2014年2月2日日曜日

❏菅江真澄「水の面影」現代語訳完成・解説(2)現地踏査

菅江真澄の「水の面影」を寺内地区市民憲章推進協議会が現代語訳に取り組みました
今、印刷屋さんで製本中です・・・まもなく完成!!
現代語訳に当たって、内田武志さんの解説



「水の面影」解説 菅江真澄全集著者 内田武志

1 文化九(1812)年の著 

「古老たちから尋ねながら、現地踏査した」
  


文化八(一八一一)年の夏から久保田(秋田市)に居住するようになった真澄は、佐竹藩校明徳館の助教那珂通博の推輓を受けて、藩内六郡の地誌を編むことになった。

《みずのおもかげ》には、「寺うち、矢ばせなどの村々のふることを、としたかき処人にたつねて書きたるふみなり」とある。しかし現在知られている《みずのおもかげ》は上巻だけでそれには年次がない。某年の二、三月ごろ、今の秋田市寺内から八橋方面の旧跡を探遊した記録とみられるが、文化九年(一八一二)年七月の日記《つきのおろちね》の冒頭には、次のように言っているから、同じ年の探訪であることがわかる。「この春より、このあたりを尋ねわたりて、『水の面影』という冊子に寺内山のふるあとをたどりて書いてあつめ・・・」

そこの名所十八箇所の由来は当時すでに知るひとも稀になっていたから、真澄は里の故老たちに尋ねながら、実地踏査をした。その記録を《みずのおもかげ》と表題したのである。





 
3月2日の報告会参加の方に「水の面影現代語訳」無料で差し上げます




内田武志さんとは